2007/12/23

大手メディアのバイアスのかかった教育情報

前回は、メーリングリストに掲載されてある文章を非論理的であると述べた。だが、本当のことを言えば、メーリングリストなどはあまりに些末な問題に過ぎない。むしろ、大手マスコミの教育関係の記事のほうが、知名度が高く信頼されているが故に、はるかに問題が大きい。要注意である。

このことについて、たとえば四谷大塚の教育情報誌『合格アプローチ』は、2007年4月号の匿名コラム(「マスコミの中学受験報道に思う」同誌の102ページ)において、経済誌(名前は明記されていないが、たとえば『別冊プレジデント』)や全国紙(これも明記されていないが朝日新聞などか)の記事作成の背景について、敢えて厳しく指摘している。

全国紙は、既定路線が前もって設定されており、そのうえで記事が作成されることが多いのだそうだ。つまり、まともに取材せず、一定の方向性の記事で貫いてしまう。判りやすく言えば、「加熱する中学受験」といったタイトルが予め決まっていて、現場でそれを確かめるのではなく、無理やりそちらの方向に持っていってしまったりするのだそうだ。また、記者の中学受験についての知識が驚くほど乏しかったりするのだ。他方、経済誌の「○○ランキング」といった数量的データなども、実は数値の扱い方が恣意的で、中学受験の実態などを捉えていないものが多いのだそうだ。

この教育コラムの指摘は、私の体験から照らしてみても、まことにその通りだと思う。たとえば、天下の朝日新聞の教育記事などでも、たびたび稚拙なセンセーショナリズムに走る。どうも朝日新聞には、教育に関して強固な先入観があって、根拠のない記事を書いてしまう傾向がある。ここで誤解してもらいたくないのだが、いわゆる左翼思想だとか日教組支持といったイデオロギー的バイアスがあると述べているのではない。もっと浅はかで、教育のことを単に知らないとか、初歩的な社会学や統計学を知らないと思わせるような記事がよくあるのだ。(機会があれば、朝日の記者のいい加減さについてより詳細に紹介したいと思う)。

ある種の雑誌を読んでも同様だ。教育評論家は、いつも必ず「私立中堅校は絶対にお得です」と書く。「いくら家計が苦しくても小学生の英語教育は将来のために、止めないようにしましょう」とアドバイスする専門家もいる。しかし、中堅レベルの私立中高一貫校が経済的にペイするかどうかは、誰も断言できない。きわめて微妙な領域なのだ。中堅校が親切丁寧で塾要らずだというのは神話で、学校は単に宿題を大量にだすだけだからだ。また、小学生英語の効用は、ほとんど期待しにくいのは事実だ。小学生から英語を続けてモノになったという事例を、誰もほとんど知らないのである。私たち自身、小学生低学年からの児童英語教室は、良心の呵責もあって撤退した。残念ながら児童英語教室というものは、英語業界の経済的利益と英語があまり出来ない女性教師の自己実現のために存続しているのが実態だろう。もちろん、この公然の秘密は決して暴露されることはない…。

教育の最大の目的は、リテラシー能力の向上ではないだろうか。国語教育は文章を文章に即して、あるいは文章内在的に文を読みとる能力を育成する。他方、理科や社会のような科目は、文章内在的であると同時に文章外在的な読解を求め、ときには、嘘を暴くことも教える。私としては、国語・社会・理科を総合し、リテラシー科としても良いと思っている。そして、現実の様々な文章や情報を適切に読みとり理解する能力の向上につながるならば、生きていく上できわめて有意義なのではないだろうか。          

2007/12/20

Welcome to Principia Cybernetica Web

Welcome to Principia Cybernetica Web

覚え書き。

理科系一流大学を目指す人は、このWebを読むと勉強になる。

巷に散乱する非論理的文章

ベネッセがバックアップしている「教育のまぐまぐ!」というMLがあります。ベネッセがついているからといって、やはり読者は注意を怠ってはいけませんね。たとえば、2007/12/20号は、「1人での食事が性行動を助長する?」というセンセーショナルなタイトルです。しかし残念ながら、中身はまったく頂けないモノでした。

http://education.mag2.com/seijijou/071220.html

書き手は大葉ナナコさんという日本誕生学協会なるものの代表理事をしているお母さん。本文のタイトルは「『孤食』がまねく、性行動の低年齢化」となっています。しかし、「性行動の低年齢化」の根拠が、本文中どこを見回してみても、一つも示されていないのです。それに、性行動が早いというのは、いったい何歳くらいなのでしょうか、10歳でしょうか、16歳でしょうか。またどのような性行動でしょうか。そういう肝心な情報が何一つ示されていないのです。それなのに、推論のうえに推論を上乗せした議論を展開してしまっているのです。たとえば、次のように。。。。

性行動を開始するのが早い子どもたちのライフスタイルを見ると、夕食は1人でとるという子が圧倒的です。あたたかい夕食を一緒に食べる家族がいなければ、同じ境遇の子どもたちが集まり、ファーストフードなどを一緒に食べたがるのも無理もありません。

つまるところ、大葉さんは、子どもが独りで朝食や夕食をとるようではいけませんよ、と私たちに警告したいのでしょう。私たちは、その趣旨はもちろん理解できます。しかし、文章表現としては、絶対に受け入れられるものではありません。

国語や算数のような教科学習の目的は、大葉さんの文章を見てちょっと飛躍しているな、非論理的だなと感じるような能力を育むことではないでしょうか。また、そうでなければ、論理的文章を解読することはできず、いつまでも「勘」に頼ってしまう事になってしまうでしょう。

2007/12/18

文章の書き方②ーー川喜田二郎のKJ法




川喜田二郎先生にはたくさん著作があるが、とりあえずは『発想法』『続発想法』(中公新書)をできるだけたくさんの人に読んでもらいたい。すでに40年前に書かれた本であるが、今なお新鮮である。これは国語教育などだけでなく、例えば、第三世界の農村開発だとか、民主的意思形成の方法論を考えるためにも大いにヒントになっており、要するに、知的探究の方法論の源泉みたいなものだからである。

ここでは簡単にKJ法の方法論と注意すべきところをのべてみる。

用意するものは、①筆記用具(色ペンなども用意する)、②クリップや輪ゴム、③名刺サイズのカード。あるいは現代的に言えばやや大型の付箋、④図解のための大きな紙、⑤文章を書くための用紙である。

まず最初にカードに思いついた言葉や文章を書く。この時、過度に抽象的な表現を用いない。また、一つのカードにたくさんの内容を盛り込まない。そして、できるだけたくさんのカードを作っていく。KJ法というのは本来はグループ作業なので、各人が意見を出し合うことになるが、一人でやることももちろん可能であろう。(したがって本来のKJ法では、さまざまな人々の意見を出し合う複雑な討論が反映されているものとなるはずである。ここでは、あくまでも簡略化したKJ法のべているにすぎない)。

次いで、そのカードをグループ編成する。つまり、この紙きれとこの紙きれはなんとなく親近感を覚えるとか、内容が似通っているとか、そういったカードを一つのグループにしていくのである。たとえば「食べ過ぎはよくない」と「寝坊してはよくない」というカードが似通っていると感じたならば、一つのグループにする。

それから、一つ一つのグループに一定見出しをつけていく。

ここまでの段階で、どうしてもどのチームにも入れにくいカードが出てきてしまうが、無理にどこかに収めるとはしない。そして、より重大なことは、最初に大きく分けようとはしてはいけないということである。たとえば最初に、「自然」だとか「文化」「心情」といった大見出しをつけてしまってはいけない。あくまでも一つ一つの具体的なカードから、だんだんと大きなグループ分けに持っていくのである。これは、具体的な観察から何かを発見していく、KJ法の最も重要なエッセンスであり、われわれを教条的な思考から解放するものである。もちろん作文の技術としても有益であろう。川喜田二郎『発想法』の77ページの写真をアップロードしておく。

今度は、これらのグループの諸関係を、矢印などを用いながら関連付けていく。つまり、図解化していくのである。これについても、川喜田二郎の図を参照してもらいたい。そしてその図を参照しながら、それを文章にしていくのである。

以上がKJ法のエッセンスである。早川や松永の作文の方法論は、カードから文章を作り上げるという箇所を取り入れたモノと考えて良い。


発想法―創造性開発のために (中公新書 (136))
4121001362
川喜田 二郎


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2007/12/15

文章の書き方①

最近中学受験用の国語の本を2冊購入してみた。1冊は最近とても評判の高い早川尚子『お母さんが教える国語』(ダイヤモンド社、2006年)、もう一つは松永暢史『中学入試国語国語記述のコツのコツーー灘・開成もラクラク突破』(主婦の友社、2005年)である。どちらもそれなりに面白い本だが、今回はその詳細について述べるのではなく、共通する部分についてだけ書く。

二人がほとんどまったく同じ技法を述べているのが、実は文章作成の技術です。早川の本が後から出版されていますが、別に松永から文章作成法の技術を盗んだのではないだろう。むしろ、お互いに知らぬ間に、川喜田二郎先生のKJ法の技術をそのまま採用しているのです。早川も松永も独創性はなかったといえばそれまでですが、KJ法を知らず知らずに受け継いでいるという意味では、正しい真っ当な指導法だとも言えるでしょう。(もっと松永の場合は、自分がこの技法を発見したかのように吹聴する傾向があるので、少々問題があると言えないわけではない)。

まず早川の方から見ていきましょう。文章の書き方ついては78-80ページのたった3ページですが、ポイントをついています。

① メモ用紙(裏に糊がついている付箋が良い)を何枚も用意しておく。
② テーマについて心に浮かんだこと一つずつ1枚のメモに書きます。
③ そのメモを組み合わせて文書を作ります。
④ メモの組み合わせによって、少しずつ異なる文章になります。

例としては、

メモ1 「僕は、いつも7時に起きます」
メモ2 「ドラえもんの声で、お早うといいます」
メモ3 「ドラえもんの目覚し時計で起きます」
メモ4 [ドラえもんの声を時々うるさく思います」
メモ5 「時計は、4月にお父さんに買ってもらった」



僕は、毎朝7時に起きます。4月にお父さんに買って貰ったドラえもんの目覚し時計で目が覚めます。その時計は、7時になるとドラえもんの声で「お早う」といいます。僕は、いつも気持ちよく生きられるわけではなく、ドラマの声もうるさく思うときもあります。

僕は、毎朝ドラえもんの目覚し時計で起きます。その時計は、7時になるとドラえもんの声でお早うといいます。4月にお父さんに買ってもらいました。いつも気持ちよく起きられるけれど、ときどき、眠くてドラマの声がうるさいなあともことがあります。


他方松永は、自分のやり方に「メモつなぎ術」だとか、「抽象構成作文法」と名付けています。(32-38頁)。松永自身は画期的な作文法と書いていますが、要はKJ法です。こんなふうに書いています。感想文を書きなさいとか、意見を述べなさいといわれたときにいきなり文章を作成するのではなく、「この質問に答えるには最低どんな言葉を使う必要があるかを考えさせ、それをメモの形に出させて、さらにそれをつなぎさえすれば、誰でも文章化することができるのです」(36頁)。なおこのやり方について、2冊の本で詳しく解説しているのだそうです。書いてあることは基本的に同じなので、これ以上詳しくは書きません。

かくいう私は、川喜田二郎先生の著作を知ることにより、KJ法で高校生や小学生に作文を書かせたり、心理学の大学院生・助手たちと文章作成大会を試みたことがあります。シンプルかもしれないが、大変有意義な技術であると言えましょう。ただし、国語的な題材はかなり複雑ですから、KJ法の作業が必ずしも簡単だという訳ではありません。

KJ法については

中学受験 お母さんが教える国語 (地球の歩き方BOOKS)
早川 尚子
4478079455